アメリカの探検家ハイラム・ビンガム3世は、1911年7月24日にこの地域の古いインカ時代の道路を探検していた時、山の上の遺跡を調査して世界に発表した。
マチュ・ピチュ(ペルー)は、15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山脈に属するペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にある。
当時、インカ帝国の首都は、標高3,400mに位置するクスコに所在し、標高2,430mのマチュ・ピチュから、さらに約1,000メートル高い場所にあった。
この都市は通常の都市ではなく、インカの王族や貴族のための避暑地としての冬の都(離宮)や、田舎の別荘といった種類のものであった。
最大でも一時に約750名の住民しかいなかったと推定され、約80年間、人々の生活が続いていた。
アンデス文明は文字を持たないため、マチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担などの理由はまだ明確には分かっていない。
しかしながら、急斜面に位置したマチュピチュの頂上には、太陽の神殿があり、頂上にはインティワタナ(太陽をつなぎ止める石)が設置されている。様々な経緯から現在、マチュピチュは宗教都市として捉えられている。
初めてあの規模の遺跡を発見したときは、間違いなく「宇宙人」や「人外」の存在を疑ったに違いない。
リンク:Wikipedia
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